1858(安政5)年、中津藩中屋敷内で藩士・福澤諭吉が蘭学教授を開始した。これが慶應義塾の起源とされる。中屋敷は江戸・築地鉄砲洲、現在の東京都中央区明石町の聖路加国際病院の建物の辺りと推定されている。
この記念碑は義塾創立100年記念事業の一つとして、1958年に聖路加国際病院敷地内に建立。1982年に区の道路整備に伴い、従来の位置から病院前の交差点ロータリーに移転された。
谷口吉郎設計による記念碑は、黒御影石の台座に花崗岩製の書籍の形をしたオブジェが置かれ、表面には『学問のすゝめ』初編初版本の活字と同じ字形で「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」と刻まれている。なお、同じ中屋敷内で藩医の前野良澤らが『解体新書』を翻訳した事績により「日本洋学発祥の地記念碑」も隣接して建立されており、2基を合わせて「日本近代文化事始の地記念碑」と称されている。