「抑(そもそも)世に生れたる者は、男も人なり女も人なり」『学問のすゝめ』第八編。
『学問のすゝめ』で福澤諭吉は男性も女性も「人」であることを繰り返し強調している。というのも、いまだ儒学思想が根強かった当時の読者は『学問のすゝめ』冒頭の「天は人の上に人を造らず」の「人」を成人男性と考えたに違いないからだ。
しかし福澤は近代日本社会形成において男女の協力が必要不可欠だと考えていた。近代日本の「一国独立」は人々の「一身独立」が基盤となる。福澤にとって近代化とは女性もまた男性と同等に社会の担い手となることであった。「一身独立」のためには学問による精神的自立と適した職業による経済的自立を果たす必要がある。1873(明治6)年の福澤の書簡には、義塾内の「女学所」で女子教育に着手したとあり、早くから女子教育の実践を試みていたということがわかる。