イサム・ノグチは1904年、米国・ロサンゼルスで生まれた。父は慶應義塾大学部文学科出身の詩人(後に文学科教授)・野口米次郎、母は米国人作家のレオニー・ギルモアで、父は間もなく日本に帰国。1907年に母はノグチを連れて米次郎のいる日本に渡るも、米次郎は別の日本人女性と家庭を持っており、最終的にノグチは母と共に暮らすことになる。
1918年、母の意向で単身米国へ渡った。著名な彫刻家に弟子入りして芸術家を志すも迷いが生じ、1923年にはコロンビア大学医学部進学課程に進学。医学の道を模索するようになる。その際に知己を得たのが野口英世だった。米次郎が米国で講演旅行をした際、同姓の縁もあって交流が生まれたことから、英世はその息子にも親身に接した。ノグチが「医者か?芸術家か?」という人生の選択について英世に相談すると、英世は「それは芸術家の方が偉大である」「父のような芸術家になれ」と背中を押したと伝えられている。
1924年、ニューヨークの美術学校で本格的に彫刻を学び始め、翌年には彫刻展を開催するなど彫刻家としての地歩を固めていく。1927年にはグッゲンハイム奨学金を得て、パリへ留学。その後、舞台装置の製作やメキシコでの壁画制作等を経て、国際的な新進芸術家としての地位を着実に確立していく。ノグチが再び日本の土を踏むのは1931年、その際、複雑な感情を抱いていた父との再会を果たしている。