ヘッダーの始まり
2024/08/21
2023年6月12日(月)、OpenAIのサム・アルトマンCEOが三田キャンパスを訪れ(報告と写真)、ChatGPTの生みの親らしく、1時間の限られた時間で学生からの質問に次から次へと返答するチャットを実施した(当日の動画)。ChatGPTとの大きな違いは、ご本人の考えに基づく返答をされたこと、そして、最後に「1分だけ私から伝えたいことがある」と自らの意思で次のように学生に語りかけたことである。「皆さんはAIという革命的な技術から最も恩恵を受けるラッキーな世代です。このような技術革命はそう簡単には起きません。AIという上に向かうエレベーターに乗ってキャリアがスタートできるのです。だからこそ、今、AIに進んで触れて使い倒してください。これが将来の大きな恩恵につながります。人生の長期プランとか心配しなくても、AIの恩恵を将来実感して楽しい日々を送れますよ。」私はこの時、「上に向かうエレベーター」という言い回しに思わず唸った。すべてのポイントはここに集約されているからだ。
これまでの大学のカリキュラムを想像してもらいたい。自分の学部の基礎科目を履修し、次に専門科目を学び、仕上げに、卒業研究での応用問題に挑む。階段を一段ずつ上っていくのである。
ところがChatGPTなどの生成AIの活用を前提とすれば、1年次の入学早々から「日本には戦争犯罪を裁く法律がない。この法制化を具体的に提案しなさい。」といった応用問題を与えることができるのだ。普通であれば、刑法や国際法などを学び、各国の法整備状況を調査し、日本の法体系の中にどのように戦争犯罪法を位置付けるかを検討したうえで、具体的な条文を作成・提案できるようになる。しかしChatGPTにチャット形式で依頼を続けることで、前提となる知識を持つことなく、そして自らで各国の法整備を調査しなくても、それなりの解が得られてしまう。まさにエレベーターで上の階に連れて行ってもらえるのだ。ここで終わってしまうと何も学ばないが、大切なのは、自分の乗ったエレベーターがどのように階を上っていくかを、生成AIとの「チャット(プロンプト)」の工夫で制御できること、そして、その過程から階を上る過程をある程度理解できることだ。現存の刑法や国際法との関係、他国における法令化の状況などを上手に尋ねながら上れば良い。人権という根源的な視点からは憲法との関係も気になるであろう。この上昇過程をとおして、憲法、刑法、国際法といった法体系の意義を理解し、法律を基礎から学ぶモチベーションを高めることになる。よって、並行して履修する、通常の講義科目の憲法、刑法、民法といった基礎学習にも精が出るようになる。この基礎学習の過程でも学生たちはAIを上手に用いるであろう。こうやって自分で階段を上る実力を磨けば、上級生になって再度「戦争犯罪法」の問題が出題されたときには、大学1年生の時に何も知らずにChatGPTで行き着いた提案よりも遥かに優れた提案に行き着けるようになる。今度は基礎知識を有し、批判的な見方もでき、自ら一次資料などを調べる能力も備えているので、生成AIを利用したとしても、より適切なチャット(プロンプト)を生成AIに与え、自らの考えを反映させながら階段を昇れるからだ。結果として得られる生成AIによる提案の長短も認識できる。
流行りのデータサイエンスに関しても同じだ。数学や統計学の知識に乏しい1年生に、ビジネスや研究に関する様々な実世界のデータを与えて、相関や因果関係を解析させることができる。最終目的さえ理解していれば、生成AIを用いて、どのような統計手法を選ぶべきかを決めることができ、プログラムを作り、統計処理を行い、その結果をわかりやすく可視化することまでできるからだ。いきなり上昇するエレベーターに乗れるのだ。その過程でのプロンプトと出力でどのような解析(数式)を用いたかを知り、その数式の中身を実際に学ぶのが基礎勉強だ。当然、それ以外の統計処理方法との比較などの基礎も学ぶ。モチベーションをもって数学や統計学の基礎科目をしっかりと学べるようになるのだ。
生成AI登場前は、前提知識や調査能力が必要となる問題を入学直後の学生たちに与えることはできなかった。知識や経験に乏しいので、学生たちが必死に力を合わせたとして上に向かって進むことができない。それを助けるのが大学教員の仕事であるが、全員を着実に伸ばすためには、基礎からの積み上げをしっかりと教えるのが定石であった。学者は、それぞれの分野においてエレベータを使うことなく、自らの足で一番上の階まで上れる能力を有している。しかし、教師として学生一人ひとりと上の階まで一緒に上り、その過程でその仕組みを詳しく説明することは、マンツーマンに近い少人数教育でない限り難しい。生成AIの登場はマンツーマン助っ人の登場に相当する。あえてマンツーマン教師と呼ばないのは、現状の生成AIでは生徒側が上手に質問(プロンプト)を重ねないかぎり間違えるからだ。ただし今後は、基礎科目であればある程、生成AIを教育目的に特化して改良することによって、優れたマンツーマン教師に近づけられるようになる。
これからはAI等の技術を活用して留学生を増やすこともできる。日本語で実施される授業であっても、音声認識システムが日本語字幕を瞬時に示し、留学生の母国語に同時通訳することができるようになる。日本語が得意でない留学生は、例えば、自分の画面に表示される日本語字幕や同時通訳で学び、発言や質問も自分のデバイスが母国語を和訳してくれるのでそれを声に出して読み上げればよい。同様に日本語でそれなりの文章を書くのも簡単だ。そう、いきなりエレベーターで上の階に連れて行ってもらえる。最初から実践の楽しさが実感できるので、並行して日本語を基礎から学ぶ意欲が高まるであろう。AIを用いた基礎からの日本語学習では、その人のレベルに合わせた問題が次から次へと出題され、まるでゲームでステージをクリアしていくように、解きながら上に昇っていく教材が活躍するに違いない。留学生たちはあっという間に日本語が使えるようになるので、卒業後は日本社会で活躍してくれる人も増えるであろう。英語や他の言語での授業の開講もとても楽になるし、日本で育った学生たちが英語や他の言語を学ぶことも加速される。
誰もが使えるAIの登場は、学習のみならず研究やビジネスにも革命を起こすことは言うまでもない。だからこそ、AIを正しく使いこなす力量を高等教育において養う必要がある。その方策を整理するために、AIの活用を次の三つのケースに分けてみよう。
1) AIを利用して人間を鍛える
将棋の藤井聡太氏が、京都大学の山中伸弥教授との対談で次のように答えている。「囲碁や将棋といった空間が限られた世界のボードゲームでは、競争という点では完全にAIのほうが強くなっています。だからこれからはコンピュータを活用することで、逆に人間がどんどん強くなっていくという段階に入っていく気がします。」これまでの棋士たちは、将棋界において人間が蓄積してきた手本に沿って将棋の腕を磨いてきた。しかし、AIはあらゆる組み合わせのシナリオを網羅するので、人間が試したことがない展開も繰り出してくる。そのAIとの対戦を重ねて藤井棋士は自らの実力を高めているそうだ。藤井棋士の実際の対局(試合)における相手は人間であり、そのときはAIを用いることができない。あくまでも人間同士の実力勝負。このように人間の能力を上げるためにAIを活用することは、基礎勉強や仕事において不可欠となっていく。
2) AIを用いて勉強、学問、仕事等の質を上げる
冒頭のサム・アルトマンのメッセージのとおり、AIなどの先端技術を使いこなして、目的とする課題や仕事を完遂する能力が今後は必須となる。使いこなすにつれて、いろいろなことに気づかされていくであろう。生成AIという装置は、ビッグデータによって鍛えられる(性能が向上する)ため、世界に存在するデータ量という視点からは、しばらくは、英語での生成AI利用が一般的には優位となる。しかし、例えば、日本独自の文化に関する学び・研究・仕事においては日本語でのデータ量が多いので、日本語での活用がよいであろう。AIが人間を置き換えるのではなく、AIを駆使できる人間が圧倒的に有利になる分野が増えていく。
3) AI同士が戦う
前述の将棋AIコンピュータは、将棋AI同士を対局させることでその能力を高めてきた。サイバーセキュリティやサイバー戦争に関しても、攻める側と守る側のそれぞれのAIコンピュータを戦わせることで人間の能力では追いつかない瞬時の判断を身につけさせていく。金融市場でもAIの判断に基づく自動取引の競争によって、人間の判断速度では間に合わない局面が増えるであろう。すなわち、AI装置そのものの設計・作製・改良には人間が苦心するが、その装置(コンピュータ)の実践の場では人間の出る幕が少なくなるケースが増える。いわゆる、AIが人間を置き換えると言われる分野であるが、そのAIを作り、改良していくのは人間であることは忘れてはいけない。
このような整理から明らかなことは、これまでの教育は、1)の人間を鍛える部分を中心にアナログで行ってきたということだ。しかしこれからは、基礎学習に相当する部分はできるだけAI教材に任せて、教師は学生との高等な議論や、実習やフィールドワークといった、より人間関係に重点をおく学びに時間を割り当てられるようになる。並行して2)のAI利用を前提とした科目を増やすことで、教師も驚くような意外性に満ち溢れた学習の場が形成されていく。そして1)から3)のすべての分野を支えるAIを開発するのは研究開発者たちだ。慶應義塾大学においては1)と2)に対する取組みに関しては2019年よりAI・高度プログラミングコンソーシアムを立ち上げ、AIやプログラミングを得意とする学生が初心者の学生たちを教えることでAIを徹底的に使いこなす環境を整えてきた。ここではAI教材の開発にも取り組んでいる。さらに3)を中心とした最先端のAIの開発を科学技術という大きな枠組みで推進する必要がある。そこで慶應義塾大学では、最先端のAI・情報科学を進めてきた実績に基づき、AI・ロボティクスの最先端である米カーネギーメロン大学とのAIパートナーシップを締結し、新たにAIセンターを立ち上げる。ここに国内外のトップ企業も加わり、革新的なAIコア技術を創出するとともに、文学、経済学、科学、医学等、多分野への波及を狙う。
さてさて、ここまでお付き合いくださった読者からは、そんなにAIがすごいのか?そんなにAIが好きなのか?というため息が聞こえてきそうだ。なぜなら、私自身がここまで書いて、息が上がっているからである。AIはあくまでも道具である。いや、AIをあくまでも道具として位置づけ続けることが人間の責務である。これまでの議論のとおり、AIを活用しないという選択はない。コロナ後はオンラインミーティングが標準になると思いきや、コロナ前にも増して学者やビジネスマンは世界を飛び回り、対面での時間を大切にしている。人間とはそういうものだ。基礎知識や学力は大切であるが、そのあたりをAIが補うようになればなるほど、「この人と一緒に仕事をしたい」、「この人と一緒に時間を過ごしたい」と思われる人間性が重視されるようになり、そのために、協力して助け合う力や、相手の立場を理解した対話力や、次世代により良い社会を残そうとする志や倫理観が大切になる。いくら正論を主張しても、AIを駆使して論理的に議論を展開しても、信頼できる人間でなければ聞いてもらえない。そして交渉さえ難しい局面、特に悪党を制するための正義の力が必要となるときなどこそ、一緒に立ち上がる仲間をつくる力量が大切になる。学問や研究開発においても、いくらAIなどの科学技術が発展しても、どうしても人間という存在でしか行き着けないという境地はいつまでも残り続ける。いや、AIの活用によって人間だからこそ行きつける分野が上手に特定されて拡がっていくことさえ期待される。視野を広げる、異なる文化を理解し尊重し、同時に日本の文化の長所を世界に理解してもらうためには、日本でできるだけ多くの留学生を受け入れなければならない。そのためにも日本の高等教育機関が世界に先んじたAI活用を先導することが望ましい。互いの人権を尊重し、文化的で、豊かで平和な社会を築いていくためには人間力がすべてである。だからこそAI時代の高等教育機関では、AIに任せられることをAIに任せることによってできる余力を、人と人の交流を重視した学びと研究の場の発展に振り分けていくべきだと考える。
以上
付録
サイトマップの始まり
ナビゲーションの始まり